2011年12月9日金曜日

帰国前の現実感

朝、研究室の方に行くと、建物のそばにたくさんの消防車がとまっていて、
芝生のあたりを数人の消防士が行ったり来たりしているのを、
建物の人たちが十人くらい遠巻きに見ていました。
建物の中のとある研究室で、サンプルに火がついたそうです。
中に入ってみると、焦げ臭い臭いはするものの、あまり変わった様子もありません。
消防車の数がおおげさだっただけで、ただの小火だったみたいです。
しかし、私がOARDCを出る手続を担当してくれるはずだった事務の人は、
焦げ臭さに我慢できずに早退してしまい、代わりの人から関連書類を手渡されました。


研究室に行く最後の日にへんなことも起きるんだな、と思いました。

今日は昨日とはうってかわって鮮やかすぎるほどの快晴でした。
真っ青な空を撮っていると現実感がぼやけてきて、
木曜日のアメリカにいるのに、日曜日の日本にいるような気分がしていました。





午前中は、OARDCから出る手続をするため、あちこちの建物を行ったり来たりしていました。
午後からはガイドさんと今後のことについて打ち合わせ。
ガイドさんとこれまでしてきた調査のデータを使って、
私が第1著者、ガイドさんが第2著者、受け入れ先の先生が第3著者の論文を1本、
そしてガイドさんが第1著者、私が第2著者の論文を1本書こうということになりました。
その後は、ガイドさんと夜の7時半ごろまでデータ整理をしていました。
帰り際になって、カバンとパソコンを置いていた自分の部屋に鍵をかけられてしまうという
トラブルがあったものの、まだ残っていた中国人研究者に開けてもらい助かりました。
ガイドさんに寮まで車で送ってもらって、いつか日本に来てください、と言って、
いつか行くよとの返事をもらって、グッドラック、グッドラック、と言い合って別れました。

なんとなく現実感の無い一日でした。
昼食を食べに寮に帰ったとき、台所で寮の管理人が窓からの日射しに照らされながら
だるそうにご飯を食べていたのも、今思い出すとデヴィッド・リンチの映画みたいな光景でした。
日本を発つ前の初秋のころも、やけに天気が良くて、現実感が無かった記憶があります。
海外に出発する直前と、帰国する直前は、こんな風に現実感が無いのが普通なのでしょうか。

立ったまま眠ってしまいそうなくらい疲れていて、それでも明日の朝には出発なので
荷造りをして、でもスーツケースにぜんぜん収まらないので本を捨て、服を捨て、
なんとか蓋を閉じることができて、食器や調味料を寮の人々に配分して、
醤油やみりんや料理酒などの誰も使わない日本の調味料を流しに捨てて、
出発の準備ができたのが夜の11時半ごろで、それからこのブログを書いています。

アメリカに行く直前は「自分が数日後、アメリカにいるなんて信じられない」という気持ちでした。
今は、「自分が数日後、日本にいるなんて信じられない」という気持ちです。

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